
ペナントはかつて、観光地のお土産の定番品として日本中の人たちに親しまれていました。
特に子供たちからは絶大な支持を得ており、観光地のお土産売り場で多くの修学旅行生がお土産としてペナントを購入する姿を目撃したり、遊びに行った友人の部屋にペナントが飾ってあったり、あるいは自身も旅先でペナントを購入した記憶があるという方も、ある一定以上の年齢の方であればいらっしゃるのではないかと思います。
このページでは、近年めっきりと目にする機会が減ってしまった、お土産用のペナントとは一体何だったのかということを考察しながら、現在から未来のペナントについても考えてみたいと思います。
目次
そもそもペナントってなに?
ペナントの語源は中世ヨーロッパの騎士が、槍の先につけていた三角形の小さな旗「ペノン (Pennon)」と、軍艦が掲げる長三角旗の一種「ペンダント (pendant)」の合成語だといわれています。形状は細長い二等辺三角形をした「長三角旗」が多いですが、長方形や台形なども存在します。
日本にペナントが浸透した切っ掛けは野球?
ペナントがどのような経緯で日本に伝わり、広まったかということについては諸説あります。ここでは野球を切っ掛けにして浸透したという説を簡単にご紹介しようと思います。元々はヨーロッパで誕生したとされるペナントは、時を経て19世紀後半のアメリカで盛んになっていた大学スポーツで優勝チームに贈られる優勝旗に使用されるようになります。この優勝ペナントと呼ばれる優勝旗は、後に発足するメジャーリーグベースボールでも採用され、優勝ペナントを奪い合うために行うリーグ戦のことをペナントレースと呼ぶようになるのです。その後、ベースボールは野球として日本に伝わり、1936年には遂に日本でもペナントレース(公式戦)が始まったことで、より広く多くの人にペナントという言葉は伝わり、現在に至るといわれています。
ペナントが観光地のお土産になった経緯
ここからは、軍旗や優勝旗として使用されてきたペナントが、なぜ日本でお土産の品としてどのような経緯で普及したのかということについて考察していこうと思います。
尚、ペナントが観光地のお土産になった経緯については諸説ありますが、ここでは2つの説についてご紹介しようと思います。
1. 鎌倉市の間タオルが土産品として企画開発したという説
日本が高度経済成長期を迎えた1959年頃、アメリカから輸入されるようになったタオルに着目して起業した、神奈川県鎌倉市の間タオルという会社の創業者が、当時の野球場のバックスクリーンにはためく優勝ペナントを見ていた時に「三角形のペナントに観光地の絵を入れたら売れるはず」と閃いたのが切っ掛けで観光地のお土産用ペナントが誕生したといわれています。まずは第一弾として、当時完成間近だった東京タワーをあしらったペナントを発売したところ大ヒット。戦後の観光ブームにより賑わっていた日本各地の観光地でも同様のペナントを販売したいという依頼が殺到し瞬く間に全国に拡大していったといわれています。
2. 大学の山岳部の登山記念や、運動部の大会出場記念ペナントが起源という説
日本全国の観光地でペナントが販売される切っ掛けとなったのは、大学の山岳部の登山記念や、運動部の大会出場記念用のペナントなどを作っていた業者が、観光地のお土産用にペナントを作って売り出したのが起源といわれています。 元々登山をする人達の間では、現在のペナントよりも一回り小さい、今でいうライダーフラッグに近い旗を、ザックやスキー用品などに結んだり、登頂記念に山頂に掲げるという文化は存在していました。 やがて、1920年代頃になると各大学で山岳部の活動が始まり、登山人口も増え、登山記念用としてのペナントの需要も高まります。それと並行して各大学では、山岳部以外にも運動部の活動も活発になり、大会の優勝旗や出場記念としてもペナントは使用されるようになり、それらのペナントを作っていた業者が業務拡大のため、戦後の観光ブームで賑わっていた日本全国の観光地用のペナントを作って売り出したのが起源といわれています。
このように、ペナントが観光地のお土産になった経緯の詳細については定かではありませんが、第二次大戦後の高度経済成長とともに、庶民の生活が豊かになり、やがて起こった観光ブームで、多くの人達が国内旅行をするまでに大衆化したこと。また、それによって、多くの日本人が観光地でペナントを目にするうちに、広く認識されるようになったということは、ペナントが観光地のお土産として普及した要因だといえそうです。
ペナントが観光地のお土産としてヒットした理由
1.旅の思い出を具現化していた
お土産用のペナントが普及し始めたとされる、1960年代初頭は大きくて重い高価なカメラを持ち歩いて旅行をする人はごくわずかで、旅行で訪れた場所やそこで体験した出来事はしっかりと自分の目に焼き付けて、それを人に伝える際には、話術を駆使していかに鮮明でわかりやすく表現するかという手段しかありませんでした。しかし、そんな時代に登場したペナントには、旅行者が望んでいた、旅の思い出を具現化するお土産としての要素がしっかりと詰め込まれていたのです。訪れた旅先の地名やその地を象徴する名所などのイラストが色鮮やかなでデザインで表現されたデザインのタペストリーは、今でいう記念写真の代用品であり、旅先での記憶を鮮明によみがえらせるための記憶装置としての役割を果たしていました。このようにしてタペストリーは、記念品を好んで欲しがる日本人の特性と時代のニーズにぴったり合った、最適なお土産品として普及していったのです。
2.子供のお小遣いで手軽に買える
ペナントが観光地のお土産品としてヒットした理由として、子供のお小遣いでも買える手軽な値段だったということも大きな理由の一つだったといえるでしょう。低価格なので、誰でも気軽に購入出来て、持ちかえるときも邪魔にならず、帰宅後に自分の部屋に飾って眺めれば、楽しかった旅の思い出をいつでも鮮明に思い出すことができるペナントは、当時の子供たちにとっても、非常に魅力的なお土産品だったのではないでしょうか。
ペナントが観光地のお土産売り場から姿を消したのはなぜ?
1960年初頭頃の登場以来、観光地のお土産として老若男女を問わず、多くの日本人に愛されてきたペナントですが、1990年代に入ると、観光地のお土産売り場から徐々に姿を消すことになります。安価で購入出来て、旅先で誰でも手軽に写真撮影ができる、レンズ付きフィルム(インスタントカメラ・使い捨てカメラ)が発売され急激に普及するのです。その後もデジカメ・スマホなど、カメラの性能の日進月歩の進化に伴い、記念写真の役割も果たしていたペナントは次第に必要とされなくなってきます。また、並行してペナント以外にも安くて魅力的なお土産アイテムも続々登場したことも更に追い打ちをかけて、観光地のお土産としてペナントを選ぶ人は確実に減少し、今ではペナントを販売しているお土産屋さんの方が珍しいという現在の状況に至るのです。
時代の流れに合致したことでヒットした商品が、同じく時代の流れに合わなくなったことですたれてしまうということは、多くのヒット商品が辿る道なのかもしれません。
再発見されるペナントの魅力
観光地のお土産品として、一時代を築き、その役割を終えたペナントですが、近年は当時の時代の空気を象徴するような、レトロなデザインの魅力が再評価されています。
中でも、今では手に入らない希少なヴィンテージペナントは、コレクター心をくすぐるアイテムとなって人気を集めています。あの小さな二等辺三角形の限られた布地のスペースに、その土地を象徴する風景・名産品・地名などをバランスよく配置してデザインされたペナントは、あの時代の日本だから作ることができた、独特な魅力を放ち、時代を経た今だからこそ改めて評価され、今後もその価値がなくなることは決してないのではないでしょうか。
ペナントの新しい楽しみ方
観光地のお土産品売り場からは姿を消したペナントですが、近年では幅を広げて様々なシーンで活躍しています。例えば、サッカーなどの試合を行う際に、対戦チームの選手とホームベース型のペナントを交換し合って敬意を表したり、アニメやゲームのキャラクターをプリントしたオリジナルのペナントが販売されていたり、また他にも、複数のペナントを繋げて装飾インテリア用のガーランドにして使用するなど、ジャンルや用途を問わず、多種多様な ニーズに対応しています。
おわりに
ペナントは時代のニーズに合わせながら、ジャンルの垣根を超えて、役割を少しずつ変えながらも、魅力的なアイテムとして今も昔も変わらずに存在しています。時代の流れに合わせ、カタチを変えながらも進化を遂げていくペナントの将来がとても楽しみです。